パフォーマーからのメッセージ

パフォーマーからの
メッセージ

ハラサオリ(ダンサー)

30年前の、まだ男でも女でもなかった私へ


こんにちは。ハラサオリです。その後色々あってアーティストになりました。


現在の私は、唐突に降ってきた「双面(ふたおもて)」という歌舞伎の題材をきっかけに、2つの顔について考えています。2つの顔とは、表と裏、男と女、生と死、虚と実、私とあなた、そのどれでもあり、どれでもないもののことです。

これは以前『ポスト・ゴースト』という上演作品を創る過程で知ったことですが、現在男芸人のみが演じている歌舞伎を最初に始めたのは「出雲阿国」という女芸人です。反骨と抵抗を体現する彼女の挑発的な踊りは、身分制度に苦しむ多くの民衆を熱狂させたと記されていますが、時の権力はそれを男性の芸事へと挿げ替えました。そこにはいつからか「女の幽霊」が頻繁に登場するようになるのですが、これは「現世で抑圧された女の声や感情が、死んで初めて自由に表現される」、つまり性の非対称性のメタファーであるというのが一説です。

この何重にも捻れた背景には、現代の(たまたま)女(の身体をもって生まれた)芸人としては、重たく気だるい共鳴を感じずにはいられないなー。というのが去年までのお話です。

対して、今回のお題である『双面』は「おっさん(法界坊)」と「お姫様(野分姫)」の幽霊が一つの存在として現世に降り立ち、人間の男女を巻き込み大暴れ!という、いかにもふざけ倒した人気演目です。捻れて、捻れて、捻れた先に生まれるのが至極のコメディであるというのは、皮肉なほどに日本らしい。この「ノリ」に現代の身体と音楽を介入させるのが『双面ディレイ』というわけです。

誰の恨みか?誰の愛か?誰の命か?すべてにディレイがかかり、有耶無耶になっていく。前後不覚の面構え。それを踊るのは、現代を生きる、3人の(たまたま)女(の身体をもって生まれた)芸人です。

いや、果たして、コンテンポラリーダンスは「芸」なのか?そしてこの2025年に私たちはラベルとしての「女」を受け入れている場合なのか?これは甚だ疑問、つまりQではなくNOですが、すでに伝統芸能へと昇華され、金輪際生身の女が舞い戻ることはない歌舞伎の世界に踏み込めるのは、間違いなくアーティストの特権でしょう。現実を歪ませ、幽霊を召喚し、性も制度も時空も飛び越える、そういうマジックリアリズム的サーカス団ということであれば、ぜひ喜んで、といったところです。

大谷能生と常磐津の音楽は、昨日デモを聴きましたが、かなりやばいですよ。まだスピッツしか知らないあなたには少し早いかもしれませんが。

最近はこんな感じです。それから先日、「日本初の女性総理大臣」というものが、生まれました。

それではどうかお元気で。できることなら、そのままで。

30年前の、まだ男でも女でもなかった私へ


こんにちは。ハラサオリです。その後色々あってアーティストになりました。


現在の私は、唐突に降ってきた「双面(ふたおもて)」という歌舞伎の題材をきっかけに、2つの顔について考えています。2つの顔とは、表と裏、男と女、生と死、虚と実、私とあなた、そのどれでもあり、どれでもないもののことです。

これは以前『ポスト・ゴースト』という上演作品を創る過程で知ったことですが、現在男芸人のみが演じている歌舞伎を最初に始めたのは「出雲阿国」という女芸人です。反骨と抵抗を体現する彼女の挑発的な踊りは、身分制度に苦しむ多くの民衆を熱狂させたと記されていますが、時の権力はそれを男性の芸事へと挿げ替えました。そこにはいつからか「女の幽霊」が頻繁に登場するようになるのですが、これは「現世で抑圧された女の声や感情が、死んで初めて自由に表現される」、つまり性の非対称性のメタファーであるというのが一説です。

この何重にも捻れた背景には、現代の(たまたま)女(の身体をもって生まれた)芸人としては、重たく気だるい共鳴を感じずにはいられないなー。というのが去年までのお話です。

対して、今回のお題である『双面』は「おっさん(法界坊)」と「お姫様(野分姫)」の幽霊が一つの存在として現世に降り立ち、人間の男女を巻き込み大暴れ!という、いかにもふざけ倒した人気演目です。捻れて、捻れて、捻れた先に生まれるのが至極のコメディであるというのは、皮肉なほどに日本らしい。この「ノリ」に現代の身体と音楽を介入させるのが『双面ディレイ』というわけです。

誰の恨みか?誰の愛か?誰の命か?すべてにディレイがかかり、有耶無耶になっていく。前後不覚の面構え。それを踊るのは、現代を生きる、3人の(たまたま)女(の身体をもって生まれた)芸人です。

いや、果たして、コンテンポラリーダンスは「芸」なのか?そしてこの2025年に私たちはラベルとしての「女」を受け入れている場合なのか?これは甚だ疑問、つまりQではなくNOですが、すでに伝統芸能へと昇華され、金輪際生身の女が舞い戻ることはない歌舞伎の世界に踏み込めるのは、間違いなくアーティストの特権でしょう。現実を歪ませ、幽霊を召喚し、性も制度も時空も飛び越える、そういうマジックリアリズム的サーカス団ということであれば、ぜひ喜んで、といったところです。

大谷能生と常磐津の音楽は、昨日デモを聴きましたが、かなりやばいですよ。まだスピッツしか知らないあなたには少し早いかもしれませんが。

最近はこんな感じです。それから先日、「日本初の女性総理大臣」というものが、生まれました。

それではどうかお元気で。できることなら、そのままで。

常磐津和英太夫 (常磐津奏者)

常磐津和英太夫 
(常磐津奏者)

日本の〈舞踊学〉の確立者であった恩師の郡司正勝先生は、芸能の身体を〝空駄(カラダ)〟と主張しました。これは主として肉体を否定する〈舞踏〉などを意図した当て字かと思いますが、歌舞伎の舞台で「双面」の演奏を勤める時、私の脳裏には常にこの二字が旋回しています。同じビジュアルで登場する現世の娘と亡霊。その亡霊は乞食坊主と美しい姫の合体霊です。そこには役者が役に扮する身体があるはずですが、演者も演奏者も、そして観客も、その〝空駄〟の先にある〝想〟とか〝念〟を勝手に幻視している気がします。凄い作品を江戸歌舞伎は創りました。今回、この上もないアーチストの方々とのコラボが実現しました。他ジャンルと比較すると、常磐津は語りも三味線も何か物語を表現するための音楽。しかし此度はどこかで普段の物語を〝ディレイ〟し、声や音そのものが表現であることも意識したいと思っています。音楽とダンス、想念の交錯が始まります。

日本の〈舞踊学〉の確立者であった恩師の郡司正勝先生は、芸能の身体を〝空駄(カラダ)〟と主張しました。これは主として肉体を否定する〈舞踏〉などを意図した当て字かと思いますが、歌舞伎の舞台で「双面」の演奏を勤める時、私の脳裏には常にこの二字が旋回しています。同じビジュアルで登場する現世の娘と亡霊。その亡霊は乞食坊主と美しい姫の合体霊です。そこには役者が役に扮する身体があるはずですが、演者も演奏者も、そして観客も、その〝空駄〟の先にある〝想〟とか〝念〟を勝手に幻視している気がします。凄い作品を江戸歌舞伎は創りました。今回、この上もないアーチストの方々とのコラボが実現しました。他ジャンルと比較すると、常磐津は語りも三味線も何か物語を表現するための音楽。しかし此度はどこかで普段の物語を〝ディレイ〟し、声や音そのものが表現であることも意識したいと思っています。音楽とダンス、想念の交錯が始まります。

大谷能生 (音楽家)

ニューヨーク出身のサックス奏者/作曲家/プロデューサーであるジョン・ゾーンは、自身のルーツであるジューイッシュ・カルチャーを探索・拡張するさまざまな仕事をおこなっており、その中の一つに「ユダヤ音楽の旋法に基づいた楽曲を作り、オーネット・コールマンのハーモロディクス的なやり方で演奏する」というアイディアからはじまった「MASADA」というプロジェクトがある。1990年代に開始されたこの企画は現在ソングブック三冊・全六百十三曲(トーラーの戒めの数と同じだそうだ)にまで展開されているようだが、ここ数年考えているのは、清元や新内や常磐津といった「邦楽」の旋法と音感に同じようなアプローチで取り組めないかな、ということで、とりあえず端唄や都々逸といった俗曲からオーネット的な小曲に仕立てる作業をはじめていたところで、「常磐津の大夫と三味線と組んで舞台をやらないか」というお話をいただき、二つ返事で「双面」に参加させていただいた次第です。宣伝では「現在の音楽」という極めてアイマイな括りになっておりますが、CDJとPCを駆使するクラブ・ミュージックから三味線とサックスによるデュエットまで、古典とコンテンポラリー・ダンスのあいだに挟まる複数形の伴奏を勤めさせていただく予定ですので、ご期待ください。

ニューヨーク出身のサックス奏者/作曲家/プロデューサーであるジョン・ゾーンは、自身のルーツであるジューイッシュ・カルチャーを探索・拡張するさまざまな仕事をおこなっており、その中の一つに「ユダヤ音楽の旋法に基づいた楽曲を作り、オーネット・コールマンのハーモロディクス的なやり方で演奏する」というアイディアからはじまった「MASADA」というプロジェクトがある。1990年代に開始されたこの企画は現在ソングブック三冊・全六百十三曲(トーラーの戒めの数と同じだそうだ)にまで展開されているようだが、ここ数年考えているのは、清元や新内や常磐津といった「邦楽」の旋法と音感に同じようなアプローチで取り組めないかな、ということで、とりあえず端唄や都々逸といった俗曲からオーネット的な小曲に仕立てる作業をはじめていたところで、「常磐津の大夫と三味線と組んで舞台をやらないか」というお話をいただき、二つ返事で「双面」に参加させていただいた次第です。宣伝では「現在の音楽」という極めてアイマイな括りになっておりますが、CDJとPCを駆使するクラブ・ミュージックから三味線とサックスによるデュエットまで、古典とコンテンポラリー・ダンスのあいだに挟まる複数形の伴奏を勤めさせていただく予定ですので、ご期待ください。

チケット

双面(ふたおもて)ディレイ
Ghosts as Afterimages

双面(ふたおもて)とは?

「双面」というのは二人の人間がうりふたつ姿で出現し、どちらが本物かわからなくなったり、あるいは一人の人間に二つの魂魄が入り込んで多重人格になる演出をいいます。古くは能楽の『二人静』などにも見られるアイデアで、近世期には歌舞伎の趣向として多様されました。

「双面ディレイ」について

歌舞伎作品『法界坊』の大詰は隅田川を背景にした舞踊劇で通称を「双面」といいます。歌舞伎に多くある双面演目のうちでも、現行、もっとも上演頻度が高く、芝居から切り離された舞踊としても人気があります。

この作品では乞食坊主「法界坊」と高貴な「野分姫」の霊魂が合体した幽霊となり、あるときは男、あるときは女として現世を生きるお組・松若丸のカップルに執着します。現行のかたちでの初演は寛政十(1789)年、常磐津作品です。


今回の「双面ディレイ」はこの「双面」を現代のダンス・パフォーマンスとして再構築をこころみるものです。

ダンサーにはハラサオリほか二人の女性ダンサーを招聘。


音楽は常磐津和英太夫ほかによる伝統的演奏と、ジャズプレイヤー・作曲家として活動する大谷能生の「現在の音楽」をミックスします。


さらに、落語家の金原亭小駒たちによる茶番「象のサーカス」を間狂言として設定し、観客を作品世界へいざないます。


江戸時代の隅田川をモチーフにした古風な物語と、現代のパフォーマンスがズレながら重なり合うあらたな世界にご期待ください。

企画・構成・美術:

出演:

振付・演出:

常磐津:


衣装:

象のサーカス団:

作曲・編曲・演奏:

日程:

会場:

和田尚久

ハラサオリ モテギミユ  山田茉琳

ハラサオリ

(浄瑠璃)常磐津和英太夫 常磐津佐知太夫

(三味線)常磐津菊与志郎

HATRA

金原亭小駒 金原亭馬太郎 柳家小はだ

大谷能生

2025年 12月16日[火]・17日[水]

ユートリヤ マスターホール(東京・曳舟)

企画・構成・美術: 和田尚久

出演: ハラサオリ モテギミユ  山田茉琳

振付・演出: ハラサオリ

常磐津:(浄瑠璃)常磐津和英太夫 常磐津佐知太夫 (三味線)常磐津菊与志郎

衣装: HATRA

象のサーカス団: 金原亭小駒 金原亭馬太郎 柳家小はだ

作曲・編曲・演奏: 大谷能生

日程: 2025年 12月16日[火]・17日[水]

会場: ユートリヤ マスターホール(東京・曳舟)

主催: 一般社団法人ふらすこ、「隅田川 森羅万象 墨に夢」 実行委員会

共催: 墨田区

協賛: 東武鉄道株式会社

助成: 公益財団法人セゾン文化財団

※「隅田川 森羅万象 墨に夢」実行委員会事務局は(公財)墨田区文化振興財団が担っています。

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